日本を代表する人気作家、夏目漱石。昨年2016年12月9日に没後100年を迎えたことから、この数年、全国各地で漱石イベントが開催され「漱石ブーム」が再燃しています。漱石の作品発表の場であった朝日新聞では「三四郎」「それから」「門」などの代表作を朝刊で再掲載し、さらに「坊ちゃん」ゆかりの地である愛媛県松山では、「坊ちゃん列車」が昭和29年以来の復活を遂げたりと、色々なニュースがありますね。
漱石の作品といえば、何を思い浮かべますか?進んで読んだことがなくても、中学校・高校の頃に現代文の授業でなら触れたことがあるという人も多いのではないでしょうか。「吾輩は猫である」「こころ」「坊ちゃん」「三四郎」などなど…。漱石の作品は非常に有名なものばかり。
没後100年であるこの「100年」は、漱石にとって特別な年でした。なぜなら漱石は常々自分の文章を「100年後まで伝わるものにしよう」と考えていたからです。漱石が思い描いていた「100年後」の世界に、私たちは生きているのですね。
また漱石には文部省からの学位授与を、「肩書きなど欲しくない」と言って断ったエピソードがありますが、それが2月21日(漱石の日)のことになります。この記事では漱石没後100年の漱石の日に合わせて、Googleストリートビューで漱石ゆかりの土地巡りをしていこうと思います。
本記事の内容
始まりの土地|夏目漱石ゆかりの場所
漱石は1867年に夏目家の三男五女の末っ子「夏目金之助」として、牛込馬場下横町という現在の新宿区喜久井町に生まれました。今もなおこの周辺には漱石に関連性のあるものが多く見られます。以下に3つ掲載します。
夏目漱石誕生の地
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少し見づらいかもしれませんが、この石碑には「夏目漱石誕生之地」と書いてあります。隣にある「やよい軒」がなんとも言えない風情を醸し出していますが、ここが夏目漱石の始まった土地として広く知られています。夏目家は漱石の父・直克が地元でも有数の権力家であり、生活が豊かだったと言われています。
夏目坂
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「夏目坂」と呼ばれるこの坂の途上に漱石の生家があったため、漱石の父がその名を付けたと言われています。漱石曰くこの名はそこまで有名にはならずに、名無しのただの坂として残っている、とのことでしたが、今でも「夏目坂」という名前は残っています。ちなみに漱石の父が名付けた地名は他にもあり、東京都新宿区の「喜久井町」は、夏目家の家紋である「井桁に菊」にちなんで名前を付けられています。
漱石公園
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ここは漱石がその人生を終えた土地と言われています。「漱石山房」と呼ばれた、漱石が暮らしていた家もこの土地にあったのですが、戦時中に焼失してしまいました。現在はかつての趣きが一部再現されており、漱石の住まいがどんなものだったかを知りたい人はその一端を垣間見ることができます。漱石は1916年の12月9日にこの地でその生涯を終えました。ですがこの地に訪れて漱石を偲ぶ人の多さが、漱石の小説が未だなお広く愛されていることの証明となっています。
「こころ」
漱石ゆかりの地を紹介した後は、漱石作品ゆかりの地を紹介します。
雑司が谷霊園
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漱石の作品で有名なものはいくつもありますが、「こころ」は中学・高校の教材に選ばれていることなどからも、触れたことのある人が多い作品ではないでしょうか。この「雑司が谷霊園」は作中で「先生」が友人「K」の墓参りに向かう際に登場した場所です。作品だけではなく、漱石自身ともゆかりの深い土地で、漱石とその妻・鏡子、五女のひな子がここに眠っています。
上野公園
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作中で在りし日の「先生」と「K」が散歩していた公園がこの上野公園です。おそらく当時とは風景もだいぶ変わってしまっているでしょうが、この大きな公園を二人してのどかに歩いている時間もあったのです。ただ歩くだけではなく、「先生」がどんな気持ちだったのかを想像しながら歩いてみるのも面白いかもしれません。
三四郎
田舎から出てきた三四郎が、都会の様々な人々とのつながりの中で得る経験や、翻弄されている姿を描いた小説です。「三四郎」のゆかりの地を紹介します。
三四郎池
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こちらはそのままの名前の「三四郎池」です。三四郎が恋心を抱く相手「美禰子」と初めて出会う池です。もともとは違う名前の池だったのですが、「三四郎」に登場したことで「三四郎池」と呼ばれるようになりました。
団子坂
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こちらもまた「三四郎」ゆかりの地で、三四郎の意中の人である「美禰子」関連の場所です。「美禰子」からこの団子坂へ菊人形を見に行くからおいでというハガキをもらった三四郎はおろしたての制服に身を包み、ピカピカの靴を履いていそいそ出かけます。そこで彼は今までの九州の田舎にいた頃に比べるとずっと意味の深いものになりつつあると感じるのです。
まとめ
以上が夏目漱石、または漱石の作品ゆかりの地でした。100年という長い時を経ても色褪せることなく、その輝きを増し続ける作品たちをより身近に感じるために、あなたも是非ゆかりの地を訪れてみてはいかがですか?
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