2016年を皮切りに、VR(バーチャルリアリティ)という言葉が世間に飛び込んできました。
その他にも、AR、MR、360度コンテンツといった似た言葉もバズワードとなっていますが、「結局VRって何なの?」と疑問に思われている方も多いのではないでしょうか。
実はVRは、東洋にはない極めて欧米的な概念で、日本人がニュアンスを正確に捉えることは困難だと言われています。実際、VRについてのはっきりとした説明も多くはありません。そして、その微妙に間違った認識が、日本のVR市場の発展速度に少なからず影響を与えているのです。
この記事では、バーチャルリアリティという言葉の由来や、歴史的背景と一緒に、概念としてのVRに対しての理解を深めていきます。
本記事の内容
語源から考えるバーチャル・リアリティ
バーチャルリアリティという言葉から日本人が連想するニュアンスは、英語本来がもつ意味と大きく異なります。
そもそも、バーチャル(virtual)は virtueの形容詞です。virtueは 徳,美徳,善行などを意味する単語ですが、さらにその原義にさかのぼれば、「その物をその物として在らしめる本来的な力」という意味を持ちます。
では、virtualという単語が、実際に日本語ではどのように説明されるのかを見てみましょう。
(表面または名目上はそうでないが)事実上の,実質上の,実際(上)の. ー引用:Weblio英和辞典
いかがでしょうか?多くの方が想像するバーチャルという響きからはあまり連想されない和訳だと思います。
また、バーチャルの反意語はnominalであり、「名目上の」という意味を持ちます。反意語ですが、こちらの方が私たちのバーチャルの解釈に近いような気もします。さらに興味深いのは、nominalの反意語はrealであることです。
ここから、virtualとrealityはそもそも似た意味を持つ言葉であり、virtualという言葉は、限りなく「現実」と近いニュアンスを持っていることが読み取れます。少し、不思議な言葉ですよね。
ここまでの情報を踏まえ、バーチャルリアリティという言葉の意味を言葉で説明するのであれば「表面上は現実ではないが、実質上は現実」といったところでしょうか。
仮想現実という誤訳
ところで、VRについてのニュースや記事の中で「仮想現実」という言葉を目にしたことはないでしょうか? 今現在、VRを説明する際、多くはこの「仮想現実」という和訳が当てられます。
日本人が感じるバーチャルの意味は確かに仮想というイメージですよね。他にも多く、バーチャルとついた言葉は存在しますが、バーチャルの語源からすると、仮想という言葉は少しニュアンスがあわないように思います。
実際にバーチャルが付く他の言葉を例にとって考えてみましょう。
例えば、バーチャルマネーも仮想通貨と和訳されますが、これを言葉通りに理解するのであれば、偽札… なんてことにもなりかねません。実際はバーチャルマネーも、「みかけはお金ではないが、お金として使えるもの」ですよね。
実は身の回りにも、「仮想」ではなく、「事実上の」という意味でのバーチャルが意外にも多く存在しているのです。
仮想現実という言葉は、VRを説明する上で、微妙な認識のズレを生みます。このズレを修正することが、VRについての正しい理解に向けた第一歩となります。
歴史から考えるバーチャルリアリティ
VRを理解しにくい要因は、バーチャルという言葉の複雑さ以外にもあります。
それは、現在私たちがよく見かけるPSVRやOculus Riftなど機器のみがVRの代表的なイメージを作っていることです。
しかし、「表面上は現実ではないが、実質上は現実」を作り出すための手段は決して、PSVRのような頭に取り付ける専用の装置だけではありません。
この思い込みをなくし、柔軟にバーチャルリアリティを理解するために、歴史上のあった取り組みを参考に見てみましょう。
世界最古のVR
バーチャルリアリティという言葉は、1989年から正式に使われ始めましたが、研究分野としてはもっと古くから存在しました。また、ルーツを辿ればその起源は旧石器時代にまで遡ります。たとえば、南フランスのラスコー洞窟に刻まれた壁画にも、VRの片鱗を見ることができます。
壁画には、家畜が鮮やかな色彩で、遠近法を用いて描かれていますが、よく考えてみると、洞窟の暗闇の中ではそれらの壁画をはっきりと見ることはできません。どうやらこの洞窟は、祭祀用の儀式が行われる空間として使われており、火を灯すことで壁画が浮かび上がる仕掛けになっているようです。
そこに描かれた壁画は、人々を現実世界から切り離し、特殊なもう一つの世界へと導くための役割を果たしていたことが推測されます。
(画像引用元:ラスコー展 HP)
ラスコーの壁画は、儀式の特別な空気感とあかりを組み合わせて、壁画で描かれた世界の中への没入感を演出しています。これをバーチャルリアリティとして捉えるかは研究者によって異なりますが、作ろうとしている世界には大きな差がないように感じます。
VR機器の先祖 | sensorama
それから時は経ち、18、19世紀になるとヨーロッパではパノラマ絵画が生まれました。これらもある種壁画の例の延長にある考え方でしたが、1950年代になると現在のVR機器の先駆けとなるsensoramaと呼ばれるデバイスが誕生しました。バーチャルリアリティへのアプローチはこの周辺から姿を変えてきました。
椅子に座ったプレイヤーは、箱状の機器の中に顔を埋めるような形でsensoramを楽しみます。目の前のディスプレイに立体映像が映し出され、さらにプレイヤーの全面をステレオサウンドが包み込みます。加えて、振動、匂い、風を用いてあらゆる手段を用いて感覚に刺激を与えることで、当時では考えられないほど臨場感の実現に成功しました。
(画像引用元:factmyth)
sensoramaも今のVRデバイスのイメージとは異なりますが、高度な技術と発想を用いてもう一つの現実世界に導くデバイスでした。特に、視覚だけではなく五感に訴えかけるような仕組みは、現代のVR研究に通ずるものがあります。
このように、VRに対してのアプローチは、多様に形を変えながら今日まで進化を続けてきたのでした。
まとめ|VRとは
これまで、語源と歴史という2つの切り口で、VRについての理解を深めてきました。
バーチャルリアリティはあくまで「(名目上そうではないが)事実上の現実」という概念であって、アプローチとして、PSVRを代表とするデバイスや、様々なコンテンツが存在しているのです。機器の事をVRと呼んでいるわけではありません。
ちなみに、VRに日本語を仮に割り当てるのであれば、「人工現実感」が最も適切と言われていますが、これでも理解しにくいことには変わりありませんね。
正しい言葉・歴史の文脈の理解に基づいてさえいれば、VRはそのまま「バーチャルリアリティ」と表現されるのが最も良いでしょう。
それは、もう一つの現実を作り出すという壮大な夢が込められた言葉です。
人々が、今も昔も変わらず描いた夢が、実現に大きく近づいています。今後のバーチャルリアリティの発展によって世の中がどう変化していくか楽しみですね。